立川番所

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立川番所

「重要文化財」旧立川番所書院
 
山内治政の時代になって、参勤交代は海路をとっていたが、風浪や天候のため日数が定かでないので、六代藩主豊隆公が享保三年(1718)初めてこの陸路によった。高知を出発して布師田ー領石ー穴内ー本山ー川口を経て、立川から伊豫の馬立、川之江に出た
ので、立川番所(御殿)は土佐最後の宿所であった。又国境警備の要衝の一つとして、野根山の岩佐口番所、池川口番所と共に三番頭ともいわれ中でも立川番所は首位をしめていた。現在の立川番所跡の建物は、番所役人、川井惣佐衛門忠勝が寛政年間に建てたものといわれ、すでに百七十年以上経た古い建物である。
 明治時代になって鈴木氏の手に渡り、旅人宿となって一部改装せられている。昭和四十八年町が鈴木氏より譲り受け、昭和四十九年、旧立川番所書院として、国の重要文化財に指定された。その後建物の傷みが激しく、昭和五十五年より三ヶ年で、国・県の助成を得て総工事費約一億円あまりをかけて解体復元工事がなされた。正面九間半(17.725米)奥行六間半(11.998米)七室からなり、藩主の寝所は一段高く書院づくりとなっている。(大豊町教育委員会看板引用)

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