風神塚

高知の河川

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中平善之進隠敦(1709~1757)

宝暦時代(1751~1764)津野山郷(梼原町、東津野村)の大庄屋であったが、当時は上納米の代わりに土地の産物を年貢として御用商人がまとめて買い上げ藩主へ納めていた。しかし、蔵屋という商人が、土地の物産に難くせをつけ安く買いたたいたりして農民の生活は益々苦しくなっていった。庄屋たちは協議し上訴しようとしたが密告によって捕らえられ蔵屋と対決することになる。蔵屋は自分の不利とみて自ら命を断ってしまう。善之進は一方的な裁判により処刑されることになり「風早」の峠で斬首された。この日藩庁では善之進の罪一等を減じ死罪を赦免する議が決したが、その報がもたらされたのは処刑の直後であったという。処刑の同刻から大暴風雨になり高知城はほとんど壊滅的な打撃をうけたという。人々はこれをたたりと言い、時の藩主山内豊敷も心を悩まし城内の一隅に祠を建て、お城八幡と称し善之進の霊をまつった。また津野山郷も明治19年(1886)大暴風雨があり善之進のたたりであるといわれ明治20年(1887)東津野村高野に風神塚を建て善之進の霊を祭った。(看板引用)

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