行余館跡(藩校跡)

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四万十市

安政2年(1855)年、土佐藩はこの地に学校を開設し、名称も文武館、敬止館と変わり、後に行余館と称しました。教科は漢字、習字、弓術、砲術、槍術、剣術、練兵等で文武両道を目標としていたようです。明治5年の学制の発布まで存在していましたが、学制発布後は中村小学校となりました。最も盛んだったのは明治初年頃だったようで、館の振興には樋口真吉(剣豪)、安岡良亮(後の熊本県令)などが大きく貢献しました。
(看板引用)

行余館跡(藩校跡)

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