津野勝興公の墓

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維新の道

津野氏直系末代勝興公は、知仁勇兼備の名将であったが、長宗我部氏の強勢のため、時勢の赴くことを察し和睦、元親公の三男親忠公を、養子に迎え津野氏の家名を保った。その後、不治の病を得たことを、自ら悟り剃髪して仏門に入り、この地に隠棲し菩提を弔っていたが、天正六年(1578)十一月二十一日に没す、墓所は、古記で入道谷と言う。里人は長宗我部氏に恭順の意を表して、密葬とし墓石すらなく津野氏所緑の聖地としては、寂しく忘れ去られようとしていた。現在の五輪の碑は二十二代当主勝興没し、四百年忌を期して、地元の篤志家など顕彰会を結成、この故地に昭和53年に建立された。

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