おまん姫の墓

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維新の道

おまん姫は1185年(寿永四年)三月に源平最後の戦場となった壇の浦の戦いにおいて敵の手にかかるよりと自ら入水死した武勇士、平資盛(平清盛の曽孫)であるが一説では伊予の国に逃れたとあり、その資盛の後を慕って日向谷村の奥深くまでたずねて来たのが愛妻のおまん姫である。しかし資盛に再び会うことが出来ずさまよううちに土地の人に助けられて当地日向谷村に住みついたが運悪く源氏の追手に見つけられ殺害されたと云う。その場所には高さ60センチほどの五輪を形どった石碑があり側には元廻り一メートル余りほどの「しきび」の木が墓を守るよう大きな傘を広げるように覆い茂っている。恋しい人をたずねて来ても会う事が出来ず追手にかかり無念の最期となった悲劇の場所である。

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