伝説の郷 東向(こちむき)

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梼原町

この道の奥ににある東向と呼ばれる集落は、その昔、長宗我部元親の重臣であった南部太郎左衛門が一時居を構え、その家来五郎進と共に多くの言い伝えを残す地である。
元親に仕えた太郎左衛門はその後、山内家の入封により同家に任官することになったが、元和元年三月大阪の陣が起こるにあたり、旧主を慕い国を抜け、大阪城へ入城を果たした。彼の死については諸説あるが、寺石正路著土佐名家系譜によると、彼は長宗我部盛親の旗下八尾の合戦にて勇戦し最後を遂げている。
東向で受け継がれている言い伝えによると、太郎左衛門の家来であった五郎進は、蛮力を振るい、手のつけられない粗暴の徒であった。ある日、前を流れる東向川に架かる橋が大雨で流されてしまった。村の者で橋の架け替えをしようという話になったが、普段から五郎進に恨みを持つ村の者は、このときばかり共謀を図り、五郎進が大木を肩に担いで運ぶ隙を見て、後ろから斧を振り下ろしその首を落とした。五郎進はその場にずしんと崩れ落ち、川に落ちた五郎進の首は川を朱に染めた。それを見た皆は、「いかに五郎進といえどもこれまで」とばかり歓喜した。ところがその時、川に落ちた五郎進の首が突如として目を見開き、川下に向って流れるはずの首が、逆に川上に向って流れ出したという。五郎進のたたりを怖れた村の者は、その霊を慰めるための祠(ほこら)をつくり、以来、皆の手によって今日に至るまでその霊は手厚く祀られている。その祠は、ここから奥へ約500mほど入った川の対岸の奥にひっそりとある。

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