正遷宮王子宮之墓

高知の河川

トップページ高知県の観光四国の河川高知の河川四万十川四万十川沿いの名所・旧跡>正遷宮王子宮之墓

四万十市

享保18年(1733年)9月合戦に破れ逃げる三人の武士がいた。道中でワラジを求めたが、与えるものは誰もおらず、仕方なく敵が来ても行方を告げぬように頼み、大屋敷へと山を越えた。間もなく追っての武士が来て、この地で激しく斬り交えるうち、みな討たれてしまった。哀れに思った村人達がその霊を弔い建立した。村人たちは毎年供養の日に松火を焚き踊り明かしたと伝えられている。

正遷宮王子宮之墓

高知の河川

四国の観光へ戻る  四国の河川へ戻る 
高知の河川へ戻る  高知県の観光へ戻る
四万十川へ戻る 四万十川沿いの名所・旧跡へ戻る