大文字山の送り火

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今から五百有余年前、前関白一條教房公は、京都の戦乱をさけて家領の中村に下向され、京に模した町造りを行った。東山、鴨川、祇園等京都にちなんだ地名をはじめ、町並みも中村御所(現在は一條神社)を中心に碁盤状に整然と整備し、当時の中村は土佐の国府として栄えた。この大文字山の送り火も、土佐一條家二代目の房家が祖父兼良、父教房の精霊を送るとともに、みやびやかな京都に対する思慕の念から始めたと、この間崎地区では言い伝えられている。現在も旧盆の16日には、間崎地区の人々の手によって五百年の伝統は受け継がれている。(看板引用)

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