平家屋敷跡

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千本山

能登守平教経一族の屋敷跡
文治一年(1185)三月二十四日、壇ノ浦の合戦において平家は滅亡した。伝説によると、能登守平教経は安芸太郎、二郎兄弟を腕にはさんで海に入るかに見せかけて、ひそかに壇ノ浦をのがれた。教経一族は阿波の祖谷、甚吉森を経て馬路村魚梁瀬の中川にかくれたが、土地が狭いので千本山を西へ越し一ノ谷に移り住んだ。この地は三方を山に囲まれ、水の便もよく要害の地であった。教経一族のいたところを「お屋敷」、住居を「お家」、といった。一族は安芸大領真光の援助を受けながら武術の錬磨に励み時節の来るのを待った。(看板引用)

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