野中神社

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香美市土佐山田町
土佐藩家老野中兼山の死後、野中家は改易となり寛文4年(1664年)婉(兼山の4女)は兄弟姉妹と共に幡多郡宿毛(宿毛市)に罪人として幽閉された。以後40年間に男子4人が次々に死去し、男系が絶えてのちようやく婉ら3人が許された。はじめ旧臣井口家を頼って朝倉(高知市)に移ったが、野中家先祖の祭祀を続けたいとして、家宝を売却して須江(土佐山田町)の旧臣古槇氏を頼り現在地に小堂を献立し、祖先の神牌を新しく作り、宝永5年(1708年)祭典を営み、祭田五反をつけて後の祭祀を古槇氏に依頼した。これが野中神社の起こりである。なお婉は享保10年(1725年)12月65才で生涯を閉じ高知市高見の父、兼山のそばに葬られている。(看板引用)
