二十三士と武市瑞山

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安芸郡田野町

江戸で薩長の志士と手を携え「尊王攘夷」の運動に立ち上がる約束をして土佐へ帰って来た武市瑞山(半平太)は、藩内の同士「土佐勤王党」を結成し、「公武合体」の藩論を「尊攘」に転換さすべく建議し成功するかに見えた矢先、文久三年(1863年)八月の政変で水泡に帰し、前の藩主山内容堂の頑固な公武合体論と藩の上層部と長宗我部の遺臣即ち上士と下士の対立感情も底流に働いて、次々に弾圧の嵐が吹き瑞山も獄中に在り、一藩勤王の目的は挫折した。土佐藩内七郡相呼応する結束も次第に崩れ清岡道之助を首領と仰ぐ安芸郡下の二十三士だけとなり、岩佐の関所から藩庁へ「藩政改革・攘夷・瑞山の釈放」の嘆願書を差し出したが、藩より反乱を企てる不逞の徒として討伐の兵を送られ、志士は阿波で捕われて岡地の獄舎で一夜を明し、唯、一度の取り調べもなく元治元年(1864年)九月五日、奈半利の磧を朱に染め節議に殉じた。(看板引用)

二十三士と武市瑞山

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