三伏入道平久繁の墓

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幡多郡三原村

寿永四年(1185)壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家の武者たちは各地へ落ちて行ったが、幼い帝安徳天皇は八人の武将の船団の守られ下ノ加江港に入り、人里離れた大川内の里の仮御所を構え平家の再興を図った。仮御所の北方の守りに三伏入道平久繁が部下と共に対岸の土屋の里に館を建てて棲んだ。しかし平家の再興は成らず、安徳帝も大川内で病没、平久繁の子孫は土屋姓を名乗り土地を拓いて百姓になったという。館の跡に「土屋」この碑の建つ所に「久繁」の地名が伝わる。

(看板引用)

三伏入道平久繁

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