武市半平太旧宅と墓

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高知市仁井田

国指定史跡
瑞山は文政12年(1829)生まれ。通称半平太、本名小楯、瑞山は号。幕末に土佐勤王党首領として活躍したが、文久3年(1863)8月の政変後、弾圧をうけて投獄され、慶応元年(1865)閏5月11日に切腹を命ぜられた。37歳の生涯であった。旧宅は元藁葺き式平屋建ての典型的な郷土住宅で、間数は6室、客室は8畳で柱に瑞山が文字を刻記した痕が認められる。旧宅の右手には、瑞山神社が建てられており、境内に、「花依清香愛 人以仁義栄 幽囚何可恥 只有赤心明」(花は清香に依って愛せられ、人は仁義を以って栄ゆ。幽囚何ぞ恥づべき、只赤心の明かなるあり。)という彼の遺詠を刻記した記念碑がある。墓地は神社右手の小丘にある。
(看板引用)

武市半平太旧宅と墓

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