野中兼山一族の墓地

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宿毛市
宿毛市指定史跡
野中兼山は、あまりにも偉大な政治家であったため政敵も多く、その没後、遺子たちはこの宿毛へ配流され、牢獄生活四十年、その間よね・清七・欽六・希四郎と、次々に獄死した。末子の貞四郎が自害して男系が絶えると、寛・婉・将の三人の女の子はやっと赦免された。婉は高知に帰って活躍するが、寛と将は宿毛に残り、さみしく生涯を終えた。長男清七の墓碑は婉が建てたものであり、この墓の前方数メートルの所には兼山の正妻市、その母よめの墓もある。
