鹿持雅澄邸跡

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高知市福井町

高知県指定史跡
鹿持雅澄 1791(寛政3)年〜1858(安政5)年
江戸時代後期の国学者。号は古義軒・山斎など。身分は下士から晩年白礼となる。この地(高知市福井)に生まれ、分一役(収税吏)として安芸郡や幡多郡に2ヶ月あまり駐在したほかは、この地にあって生涯を送った。16〜17歳頃から宮地仲枝に国学・和歌を学び、貧しいなかで、妻きく(武市瑞山の叔母)の内助を得て万葉集の研究にうちこみ、大著(万葉集古義)を著わした。「南京遺響」「土佐日記地理弁」のほか家集「山斎集」などがある。その門下に武市瑞山・吉村虎太郎・佐々木高行らがいる。
(看板引用)

鹿持雅澄邸跡

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