安芸城跡

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安芸川

安芸城は、鎌倉時代の延慶元年(1308)安芸親氏によって築かれたという。安芸氏は、この地方の有力な豪族の一人で、戦国時代には土佐七雄の一人といわれた。城は安芸平野のほぼ中央の小高い丘にあり、本丸(詰の段)からは平野が一望できる。東に安芸川、北に城ヶ淵、西に安芸川支流の矢の川、南に溝辺の堀があって、これらを外堀とした天然の要塞であった。また、内堀を掘った土で土塁を築き城壁とし、南の大手門には桝形の広場もみられる。戦国時代の末、永禄十二年(1569)長宗我部元親に攻められ、激戦の末落城、安芸氏は滅びた。その後三十年間長宗我部氏が支配したが、慶長六年(1601)山内一豊の土佐入国とともに山内氏の重臣、五藤氏が安芸を治めることとなり、ここに居館を構えた。城は江戸時代の初期にはすでに取り壊されていたようだが、五藤氏によって、周辺が整備され、今に至っている。
(看板引用)

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