宿毛城跡
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宿毛市
宿毛城は宿毛市を北東に流れる松田川の西側の小山にあり、元来は松田城と称した。創築時期は不明。松田兵庫が城主だった時期もあるが、天正三年(1575)長宗我部元親の軍勢が土佐一條氏を攻め、その勢力下にあった当城を陥落させたときの城主は依岡伯耆守であった。長宗我部政権下になると一族の長宗我部右衛門大夫が入城し、四国西南地域の拠点となった。慶長六年(1601)山内一豊の土佐国入封に際し、軍事的要所にある当城には、一豊の甥の山内可氏が周辺のおよそ六千石の知行地を与えられて入城した。元和元年(1615)一国一城の幕命により城は破壊されるが、可氏はふもとの土居(屋敷)を改築し、宿毛統治を続けた。可氏以降も子孫が代々ここで宿毛を治め、これを中心に城下町も形成した。延宝八年(1680)頃の絵図には、土居の様子や町割り、土佐藩奉行野中兼山の治水事業による河戸堰、宿毛総曲輪(堤)などがみてとれる。土佐藩内には同様の経緯で各地の土居に重臣が点在し、これらは「土居付家老」といわれて藩士の中でも上位の家格をほこった。明治維新にともない、十一代当主山内氏理は姓を「伊賀」と改め、当地を離れて東京に移住した。土居は遺構も含め現存せず、城郭は城壁を若干みることができる。城下町については、嘉永七年(1854)の地震後の再開発によって整理された町割が、その面影を今に残している。
(看板引用)
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