和食庄屋千屋家の墓
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芸西村和食
庄屋職は藩が選んだ村役人で、村民の頂点に位置し、藩の末端の行政を行っていた。文化十年(1813)千屋宗衛門が庄屋になった。その長男千屋半平は後に半山(現在の津野町葉山)庄屋となり、和食二代目庄屋職は養子の民五郎が継いだ。半山庄屋となった千屋半平の二男菊五郎、三男金策は共に勤王の志士として活躍したが、志を遂げることなく自死した。また、半平の弟子千屋清助の子、熊太郎は二十三士の一人として奈半利川にて斬られた。民五郎の二男、菅野覚兵衛(千屋寅之助)は海援隊士となり、坂本龍馬没後、妻お龍の妹君江をめとった。菅野覚兵衛は後にアメリカへ留学、明治に生きて海軍少佐となった。墓所には、初代和食庄屋となった千屋宗衛門から、四代孝忠までの一族十六名の墓碑がある。
(看板引用)
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