大食い権左の墓
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芸西村和食
昔々、和食の中村に「ごんざ」という男がおった。余ったものがあったら、何でも「ごんざ」の処へ持っていっちゃれというくらい大食いの男じゃったと。ある日、村の人たちが「ごんざよ、あしたお城で大食い競争があるがいってみんか。」というと、ごんざは大喜びで、「食わいてくれる所がありゃ、どんな遠い所でもあしゃ行くぞ。」言うて、当日は朝暗いうちから家を出て、お城下へむいていたと。やがて、お城下へつくと、お城の広場で大食い競争が始まった。向こうから餅はドンドン配られてくる。10個、20個、30個、50個となると「参った。もう駄目じゃ」とやめる者が出てくる。60個、70個となるとほとんどやめていなくなった。ごんざは100個たべて、土佐一番の大食いとなって、賞品をもらい意気揚々とひきあげてきた。途中、物部川でごんざが水を飲みたいと、川の水を飲み始めた。「こら止めんか。川の水がひあがるぞ。」というほど飲んだ。しかし、あくる日、腹へヒビが入って、三日三晩うなりとおし死んだ。ご飯を食べない子供がいたら、「ごんざさん」へお参りにゆく。
(看板引用)
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