兼山廟落成の記

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本山町帰全山

我が嶺北の領主として又土佐藩の宰相として兼山先生が遺された治績は史上稀に見る大経倫である兵乱の後を享けて荒廃した社会を醇化して人心に明るい希望をもたせるために庶民学を奨め社会政策を行い人材登用の途を開き又山野河海の全域に亘り大規模な殖産興業の計画を樹てる苛封健治下に波天荒な制度と雄大な施策を実行して平和と文化と生活の根源を培うた功業は不滅である 惜しむらくはひたむきな國利民福の追及敢行が君側の疾視を招き却つて冤罪を受けて一家断絶の惨禍に見舞われた事で眞に千載の恨事である偉哲の徳澤を身近に敬仰追慕する郷人を代表する嶺北の町村長が中心となって有志者と謀り社殿の造営を發起したのは昭和十五年であった 県の内外から嵐のような讃襄の聲援を得ながら時局柄已む無き時期の年を經る事十年漸く時が廻り来て昭和二十七年四月国の獨立を記念に新たな世話人も加わり茲に積年の宿題であった霊廟と兼山館が見事に竣工して聊か先生の神霊に應えると共に此の聖域に御鴻徳を偲ぶ郷土文化の中心に殿堂が出来た事は眞に慶祝に堪えない。

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