戸の本古戦場

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種崎から御畳瀬に上陸した長宗我部国親・元親父子と当時この地域を支配下においていた本山茂辰の両軍合わせて3500余が激突した古戦場跡です。時に永禄三年(1560)五月、元親は二十二歳の初陣で、大変戦功があり、その武名は一日にして敵味方に知れ渡り、後日覇名を四国に轟かす発端になった戦といえます。この碑文の読みは「コフンナリ コボツナカレ」で「この辺一帯は、古い墳墓のある土地です。むやみに掘り返してはいけません」といった意味がこの簡潔な五文字の中に込められています。当時この地は荒涼たる原野で、それなりに戦骨は葬られたと思われますが、江戸期の運河開削により田畑に変じ、深耕のため時として露出することがあり、識者により注意喚起のためこの碑が建てられたものと考えられます。

(看板引用)

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