太古橋

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高知県高知市一宮

由来
その昔、県の発展を願い国は国道造りを計画。しかし、そうすると田の真中を通ることになります。田を命より大切にしている百姓には理解できず反対されました。村の信望厚い村長はこの問題で日夜苦しみ、深夜水ごりし食事を断ち、神仏に一心に祈りました。七日目の夜明け先祖と仰ぐ大きな古墳のある所で雲をつくような白髪の老人が白装束で現れ「この古墳の天井石を橋とせよ」低い力のある声で告げられました。明治二十年三月。国道32号線は比島を通り薊野天王前を経由、一宮神社前を抜けて形を整え始めました。久安川に古墳の天井石を掛ける日、村人総勢百五十人。一宮村始まって以来の大祭となりました。そして、この橋の由来を後世に伝えるために、橋の名を「太古橋」と名付けたということです。

(看板引用)

太古橋

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