那須信吾父子邸跡

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四万十川

梼原町

藩政時代の郷士那須平次兵衛、那須幾之進、那須俊平・那須信吾の邸跡である。那須信吾父子はここに道場を開き、多くの近郷の壮士が、武道を学んだ。また勤王の同士の重要な密議の場所でもあった。
坂本龍馬が脱藩前夜に和歌を詠む 文久二年三月龍馬らが那須邸で一泊した。信吾は同志を招き龍馬らと倒幕の談義を重ね合い意気投合して酒杯を交わし和歌を詠みあった。「春くれて 五月まつまの ホトトギス初音をしのべ 深山津野里」 (龍馬詠)信吾は龍馬らと一緒に西の長州へ脱藩したかったが、国の為に是非にといわれ東の刺客となる。「西と東に引き分けられて 合わにゃ分からんふすまの絵」(信吾詠)龍馬、惣之丞らが宿泊し倒幕談義をした那須邸跡こそが、日本の夜明けの発祥の地である。

(看板引用)

那須信吾父子邸跡

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