前田繁馬の墓
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(1829~1863)
松原の庄屋で、子供の時藩士下元善平の門に入り書を学んだ。また前田恒五郎、公文藤蔵に兵を学ぶ。文久3年(1863)2月、時局が切迫すると京に上がり諸藩の志士と交わって国事につくす。変名を大浪主計といい、同年8月吉村虎太郎の天誅組義拳に土佐の同志16名とともに参加、輜重の長となる。9月7日、大和市で彦根兵を夜襲し多くの分捕品を得る。京都の政変以来、義軍振るわず繁馬は23日軍糧を焼き捨て鷲家口に向かう。敵軍多く味方は次々に倒れ、関為之助とともに紀州藩の陣地を突破、初瀬町に行き旅館樫木屋に休み朝食をとっている時、津藩・町井八郎外十余名に取り囲まれ奮戦空しく銃弾に倒れた。時、文久3年(1863)9月26日 年28才
(看板引用)
