帰全山
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長岡郡本山町
土佐嶺北地方の中核本山町の中央に位置するこの付近を対岸から観ると雁が翼を拡げて南方に飛ぶ姿に見えるので「雁山」と呼ばれ、帰全山はその頭首の部分に当たる。この地古来より聖地として崇められ、古代末に別宮山十二所権現社が鎮座、中世に遷宮したが「別宮」と称されていた。慶安4年(1651)4月、領主野中兼山が母堂秋田氏夫人の遺体を此に儒葬(文公家礼)で埋葬の時、山号の撰を山崎闇斎に依頼、「記日父母全而帰之」により「帰全山」と命名した。その「帰全山記」の一節に(帰全山の)北方は(白髪山に)連なり、西南東の(三方は吉野川の)川水周流す。土色潤沢にて草木盛んに茂る。不可為道路、不可為溝池、不可為城郭。貴勢の奪う所に非ず、耕犂の及ぼす所に非ざるなり。と、鴻儒山崎闇斎先生は記述されている。野中家の断絶後もその先營として有志者の祭祀が続いた。帰全山の林地は土佐藩の伐採禁止林となり自然が維持されていたが、明治維新後は個人所有の山林となっていた。明治38年に本山村が買収、日露戦争記念帰全公園として開園し、現在は県立白髪山公園の一部として県の指定を受けている。
(看板引用)