津野親忠の墓

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香美市土佐山田町
県指定史跡
親忠は長宗我部元親の3男で、高岡郡半山城主津野勝興の養子となり名君といわれた。元親の長男信親が豊後(大分県)戸次川(へつぎがわ)の戦いで戦死したので家督相続の問題がおこったが、土佐の国主が4男の盛親に決定してからも元親の疑いを受け岩村の霊厳寺(のちに孝山寺と改める)に幽閉された。慶長5年(1600)9月、国主の座を代えられることを恐れた盛親によって切腹させられた。親忠は29歳であった。遺骸は神社本殿の下に永遠の眠りを続けている。
(看板引用)
