野中兼山

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野中兼山

1615〜1663年(元和一年〜寛文三年)
初代土佐藩主山内一豊の甥の子にあたり、1636年(寛永十三年)、21歳で奉行職に就いた。その後1663年(寛文三年)まで27年間にわたって、藩の執政となり、土佐藩主山内氏の藩政確立に身を賭して尽力した。新田開発や土木事業など大きな功績を残しているが、宿毛の河戸堰・大月柏島の石堤などもよく知られている。経済繁栄の神様。村おこしの元祖兼山公は江戸時代に土佐藩二十四万石を実質五十万石に倍増し、国中を豊かにした。そのため農業、林業、漁業、水産業などの各分野に土木工学を駆使し、卓抜した抱負と識見で政治、経済、文化など諸般の社会政策に実効を上げた偉人。兼山公没後、巷に声望あがり敬慕尊崇の念は押さえ難く、国内いたる所で祠を造りお祭りが始まった。
(兼山会看板引用)

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