具同中山遺跡群と船戸遺跡
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四万十市具同
中筋川下流域は、四万十川からの逆流現象や上流域との比高差がないため、川舟利用には適している。しかし河川氾濫という自然災害にも昔から悩まされてきた。
具同中山遺跡群では、四世紀〜六世紀の古墳時代に、「川」を荒ぶる神として崇拝の対象とし、祭りを行った河川祭祀跡が多く検出されている。祭祀跡からは、勾玉・土製模造鏡・手づくね土器などの祭祀遺物のほかに、土師器甕など日常生活で使用する土器や、大阪などで焼かれた須惠器も多く出土している。
船戸遺跡は、縄文時代から中世に至る複合遺跡で、縄文時代後期や、奈良・平安時代の土器群が出土している。さらに中世においては、地名からも推測できるが、船が停泊するための石碇の遺物や、鎌倉時代の建物跡が多く検出されており川舟の停泊地として最盛期を迎えている。中国産の陶磁器や、大阪などで焼かれた土器椀などが多く出土しており、他地域との流通が盛んに行われていた。
(看板引用)